映画に魅せられた人々 第6回 白鳥あかねさん

白鳥あかねさんはわれわれ「KAWASAKIしんゆり映画祭」の輝ける代表だ。私が初めて「しんゆり映画祭」のボランティアになった2001年、当時はNPO組織でなく任意の実行委員会だったが、白鳥さんは委員長だった。「白鳥あかね」という名前に「三井リフォーム」のCMで白鳥麗子役を演じていた宮沢りえをイメージしていた私は、その姿を初めて見たとき失礼を恐れずに言えば "ぶっ飛んだ"。
委員長として新ボランティアの前に現れたのは、どう猛な土佐犬のような女性だった。

1932年に生まれた白鳥さんは、近代映協を経て1955年、23才のとき、日活撮影所に入所した。なぜ、映画の世界を目指したのか、詳しく話を聞いたことがある。それは、いまから2年前、白鳥さんが川崎市市民賞を受賞したときの事だった。ご本人から「白鳥あかね物語」VTRを作成してほしいと依頼され、スチール構成で20分ほどの作品を作成したとき、その半生の聞き取りを行ったのだ。

そのときの話によると、白鳥さんは大学は早稲田大学の仏文科に入学し、最初は外交官を目指していたそうなのだが、当時フランス映画に夢中になり、新宿の名画座に通い詰めるうちに、映画の世界で働くことを夢見るようになったそうだ。日活撮影所に就職した後は、全盛期の日活で斉藤武市監督や今村昌平監督などのスクリプターとして活躍するが、1970年代後半になると映画産業は衰退し、日活はロマンポルノを制作するようになる。まわりの人々が退社していくなかで、白鳥さんは日活に踏みとどまった。

ロマンポルへ転進した日活で白鳥さんは一人の監督と共に仕事をしていくことになる。映画監督・神代辰巳(くましろ たつみ)。白鳥さんと神代はその後17本の作品でスクリプターと監督としてコンビを組んだ。白鳥さんは、神代の映画のなかでは『恋人たちは濡れた』が特に好きだという。この映画のなかの主役・大江徹が中川理絵から「みっともないね」と言われ、「みっともないの嫌いじゃないよ」と言い返すセリフは、神代監督や白鳥さんの当時の心情を反映していたという。

このようななかで、働き続けてきたので、白鳥さんは、何をするにも胆が座っている。映画祭の委員長をしていると色々難しい問題に直面することがあるが、そのたびに白鳥さんは「映画祭のドン」として解決し、映画祭の中心として存在し続けてきた。

私は、そんな、白鳥さんが一度だけ動転したのを見たことがある。それは数年前のしんゆり映画祭の「白鳥あかねの映画人生50年」で、あるロマンポルノに出演した女優がゲストとして出演し、その打ち上げを近くの中華レストランで行ったときのことだった。当時の日活の映画監督とロマンポルノ女優のラブロマンスが話題になった。そのとき白鳥さんは「亡くなったうちの旦那(白鳥信一監督)にはそんな浮いた話はなかったけれどね」と言った。すると同席していた元女優さんは口を開いた。

「いいえ、私、白鳥監督からミンクのコートを貢いでいただいたことがあります」

その瞬間白鳥さんは大きくのけぞり、「そんなはずはない!」と叫んだ。白鳥さんにとってその元女優の言葉は信じられないものであったに違いない。それは、いつも映画祭で沈着冷静な態度を崩さず、いつもどっしり構えている白鳥さんとは別人だった。しかし、私はその白鳥さんの姿に亡くなった夫と映画に対する愛を感じた。

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