映画に魅せられた人々第1回 野々川千恵子
「映画」について何か書くようにということなので、連載としては「しんゆり映画祭」周辺の奇人・変人たちについて「映画に魅せられた人々」というシリーズタイトルで10回ほど書きたい。また観た映画についても不定期に書いていきたい
●映画に魅せられた人々−第1回 野々川千恵子
「ののさん」こと野々川千恵子さんのことを思い出すと、今でも彼女が今年3月4日に亡くなったことが信じられない。「しんゆり映画祭」委員長時代、「川崎市アートセンター」映像ディレクター時代の彼女は、圧倒的なリーダーシップで我々を引っ張っていた。あまりの強引さに離れていったメンバーも何人かいたが、そのメンバーたちも、彼女の死が明らかになったとき、私に泣きながら電話してきた。野々川さんが映画に魅せられていたように、私たちも野々川さんに魅せられていた。
野々川さんは、学生時代から映画が好きだったわけではない。というより自分をインスパイアしてくれる男性にすぐ惚れる女性だったというし、相模原戦車搬出阻止闘争に燃え、川崎市議会議員にもなる政治人間だった。
去年、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったとき、彼女も山形に行っていた。ある夜映画「ナオキ」の主人公・佐藤直樹さんも交えて飲んでいたら"ののさん"さんと"ナオキさん"は、相模原戦車搬出阻止闘争中、ある米軍基地の前で至近距離でピケを張っていたことが会話のなかで判明した。「私たちは中国・天安門事件の"戦車を止めた男"の前に、日本でベトナムに行く戦車を止めたのよ」と二人は肩を組んで乾杯を繰り返した。それは感動的だが、気色の悪い光景だった。
市議会議員をある事情で辞任した彼女は、なぜか映画の世界に突き進んだ。ある事情というのは川崎市のある幹部との"不倫"だが、彼女はその過去の"不倫"を映画祭委員長になっても隠そうとしなかった。むしろお酒を飲んだとき、自分の過去の生き様として語ることさえあった。
映画の世界の師匠として師事したのは、しんゆり映画祭初代委員長の武重邦夫さんだった。武重さんがまだ日本映画学校でゼミを持っていたとき、40歳を過ぎた野々川さんは、日本映画学校に入学した。
今村昌平プロダクションの"番頭"だった武重さんも、野々川さんのなかに、資質を見いだし、彼女もそれに応えて映画祭ボランティアのなかでもめきめきと頭角を現した。
私がしんゆり映画祭のボランティアになった4年後、武重元委員長の指名で野々川さんは、映画祭実行委員長となった。新ボランティア説明会で彼女は自分たちがいかに映画と映画祭が好きでのめり込んでいるか泣きながら語った。
私が映画祭に参加したきっかけも野々川さんだった。
2000年の「しんゆり映画祭」のオープニング上映は『アラビアのロレンス』だった。「あの映画をもう一度大きなスクリーンで見たい」と考えていた私は、開場の3時間前の朝7時にワーナーマイカルに向かった。脳出血後リハビリ病院から退院してあまり時間がたっていなかったので、妻から「ゆっくり行けばいいじゃない」と言われたが、いい席を確保したかった。
ところがワーナーマイカルのあるサティの周辺には誰もいなかった。その時は「まあ3時間前だからしょうがないか」とマクドナルドで時間をつぶしていたのだが、会場1時間前になってサティの入り口に再び行っても10人近い客がどこに並んでいいのか分からずウロウロしているだけで、映画祭関係者の姿は見えなかった。「この映画祭は客を迎える"ホスピタリティ"がない」。私の心のなかで怒りが燃えだした。映画祭のメンバーによる行列整理が始まったのは開場30分前になってからだった。
上映終了後私は映画祭のメンバーらしき女性に「おかしいじゃないか。『アラビアのロレンス』ほどの映画をオープニング上映するなら、もっと早い時間から会場整理するべきだったのではないか」とクレームをつけた。
すると相手の女性は「すみませんでした」と言ってにっこり笑い「ただ、そこまで言われるなら、来年からあなたがそれをやっていただけませんか? それとも口だけですか?」と挑戦的な口調で言い放った。その女性が野々川さんだったと記憶している。彼女との関わりで「しんゆり映画祭」に魅せられ、映画祭から離れられないメンバーは私以外にもたくさんいる。みんなを残して一人で去っていくなんて"ののさん"勝手ですよ!
(三浦規成)
ののさん・・・すごい人だったんですね。生前にお会いできなかったのが残念です。僕がしんゆり映画祭に行ったのは去年が初めて。物販のデスクを前にのりさんがひとりぽつねんと座っていたのが印象的でした。でもそれは上映中だったからで、終わると(「マザー・テレサ」でしたね)ものすごい人でロビーが一杯になり、のりさん担当の物販デスクから「マザーテレサ関連グッズ」が飛ぶように売れていました。しんゆり映画祭のパワーを感じました。今村さんの横浜映画専門学院がしんゆりに移っていたわけですが、もうすぐ日本初の映画大学になる・・・という話もその時に聞きました。日本の映画の歴史が「しんゆり」から新たなページを開くのかもしれませんね。皆さん注目しましょう!
のりです。
「映画に魅せられた人々」ですが1回目を書いたところで、大変申し訳ありませんが、連載を中断させていただいています。
理由は私の見通しの甘さです。文章で「映画に魅せられた人々」についての深い部分を書こうとすると、その人のプライバシーにどうしても触れていかざるをえません。野々川さんについての文章を書き、さらに次の人物についての文章を書いて、自分の“覚悟”の足りなさと文章化することへの許諾をとる道筋をキチンととっていなかったことに気づきました。
色々考えた末、まだ間に合うと方針変換することにしました。人のプライバシーをさらす前に、自分の恥ずかしい過去をさらします。4月末の原稿では自分が「映画に魅せられた」過去について書き、それから、他人についてどう書くか考えます。
少し時間をください。