映画に魅せられた人々 第4回 由田志穂さん

由田(よしだ)さんは「しんゆり映画祭」の初期のころからのボランティア・スタッフだ。私が「しんゆり映画祭」に参加し始めたころから勝手に彼女とは「馬が合う」と思っている。彼女の特徴は、とにかく映画をよく見ていることだ。その年の上映作品を決めるプログラム会議が始まると、とにかく映画館に足を運んで、スクリーンでその映画を見る。1日に3本のはしごも厭わない。

由田さんの名を高めたのは、第4回しんゆり映画祭で『萌の朱雀』を上映したとき仙頭(河瀬)直美監督を囲んでのトークを企画したときの行動力だ。私は当時まだ映画祭に参加していなかったので、伝聞で聞いているだけなのだが、彼女は『萌の朱雀』の舞台が生まれ故郷の奈良であるということで奈良に帰省し、この映画の現場を丹念にリサーチしたという。そして、上映後の監督を囲んでのトークでは、監督よりもしゃべりまくっていたらしい。現在『39窃盗団』の公開を前にしている押田興将さんが「上映後のトークで監督よりしゃべる司会を初めて見たよ」とからかっているのを聞いたことがある。

またゲストには記録のためにインタビューし、それをVTRに残しておくのだが、「しんゆり映画祭10周年ビデオ」を作ったとき、私は由田さんの河瀬監督へのインタビューを見た。かすかな記憶しかないのだが、河瀬監督に「映画作りは大変ですか」というようなことを聞いた由田さんが、河瀬監督から逆に「映画祭も大変なんでしょう」と言われた瞬間に嗚咽し始め、インタビューを中断せざるをえなかった映像を見た。それを見て「テンションが高いなあ」と感心した覚えがある。

また、由田さんのテンションの高さを物語るエピソードはほかにもある。自分の前世はフランス人と堅く信じ、一時期中学生の娘に自分のことを「お母さん」でなく「キャサリン」と呼ばせていた時期があると聞いたことがある。「キャサリン」は英語人名のような気がするので確かな記憶ではないのだが・・・。

そんな由田さんが「しんゆり映画祭」を離れていた時期がある。野々川さんが委員長の時代だと記憶するが、映画祭の活動にのめり込むあまり、子育てや仕事と両立しないと感じたためらしかった。
そのときの委員長の野々川さんの感情的動揺は見ているのも辛かった。何人かのボランティアが多摩川の川岸で由田さんとのお別れの「焼き肉パーティー」を企画すると、「なんで私に知らせずにそういうことをやるのよ!」と映画祭の「シネマハウス」でボロボロと泣き始めた。「お別れ会」の前日「笑顔で送り出すのが委員長のすべきことなのではないでしょうか」とメールすると当日笑ってやってきた野々川さんはさすがだったが、由田さんを失うことの大きさに、心のなかは泣いていたはずだ。
それから、2年ほど由田さんは、映画祭の当日には姿を見せたが、活動は休んでいた。

ただ、2年ほど前、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に一緒に行かないかと誘ったところ、他の映画祭メンバーと一緒になって山形に来て、映画祭居酒屋の「香味庵」で「芋の子を洗う」ような混雑のなかで一緒に楽しく飲んだ覚えがある。

その翌年3月、野々川さんが不慮の死をとげた。すると、由田さんは上映作品を選ぶプログラム委員会の中心メンバーとして復帰した。その行動力と統率力は抜群で、「さすが由田さん!」と感じた。

ボランティアというのはつくづく難しいと思う。責任はないが、色々なことを続けていくなかで責任が生じてくる。より高次元なことを目指していくと、「ボランティアですから」と無責任ではいられらくなる。私もそのことを考え続けているが、由田さんも考えていると思う。

(三浦規成)

コメント(1)

大輔 Author Profile Page:

なでしこJAPANが決勝進出を決めたから言うわけじゃありませんが、この連載も第2回(本人の巻)を除いて登場する3人はすべて女性。ここ10年ぐらい言われ続けていることですが、男がヘタレで女が元気なんだな。荻大ノートも数少ない女性陣にもっとがんばって欲しい!

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