荻大との出会い

 きっかけは林美雄さんからの電話でした。
 林パックのリスナーの一人だった私は、毎回のようにリクエストはがきを出していました。そこにはリクエスト曲だけでなく、最近観た映画の感想なども当然書いていました。
 そんな私のはがきに、林さんが目を留めて電話をくれたのです。

 私が大学に入学したのは1973年のこと。
 大学に入ってからは、毎週土曜日の文芸地下オールナイト5本立てに通っていました。このオールナイトで日活の旧作品を立て続けに観た私は、藤田敏八監督や長谷部安春監督の作品に惹かれました。
 二人の監督がそろってメガホンをとったのが、「野良猫ロック」シリーズです。シリーズ5本は独立した作品ですが、どれも主演が梶芽依子で共演が藤竜也です。
 私ははがきに日活の旧作品のこと、とりわけ「日活ニューアクション」と呼ばれる作品群のことや長谷部監督のアクション映画について熱く書き送ったのです。

 林さんからの電話は、「スタジオに遊びに来ないか」というものでした。長谷部監督と藤竜也がそろってゲストに来るので、二人と話してみないかというのです。
 一方的にはがきを送っていたただの聴取者である自分が、あの林パックに出るなんて思ってもみなかったことでしたが、こんな機会は二度とあるまいと思い誘いを受けることにしました。

 放送当日、私は一人で赤坂のTBSに向かいました。受付で林さんを呼んでもらいました。現れた林さんは、ラフな服装で少し色のついたメガネをかけていました。人見知りするのか、あまり話もしないでスタジオ近くのアナウンス室に案内してくれました。部屋には二人の青年がいました。
 「しばらくここで待っていて。」
と言って、林さんは部屋から出て行きました。
 二人もゲストとして招かれたのかと思いましたが、どうもちがう様子でした。あとから分かったことですが、この二人はときどき林パックを見学しに来ているのでした。

 放送で長谷部監督・藤竜也とどんな話をしたかは覚えていません。

 ゲストがスタジオから去ったあとも、放送が終わるまで私は二人の青年とガラス越しに見学をしました。
 空が白くなりかけた頃、声をかけてくれたお礼を林さんに言ってTBSを後にしました。
 二人と一緒に地下鉄に乗りました。青年の一人は山G君という名前でした。もう一人とはJR(その頃は国電でした)も一緒でした。私は中野で降り、彼は青梅のほうまで帰ると言っていました。
 これが中S君との初めての出会いです。

(黄土)

コメント(2)

大輔 Author Profile Page:

「オールナイトを観る会」の前にこんな出会いあったんですね。知らなかったな~。この後どうなったのか知りたいです。ぜひ続きを書いてください。よろしくお願いします。

黄土 Author Profile Page:

昨日沼辺君と会い荻大以前の話をしました。覚えていないこと・不確かなことがあまりにも多かったのですが、少しずつ思い出したこともあります。
時系列で書くことは無理のようなので、次回は『黄土を血に染めろ』とう映画を撮ることになったきっかけを書くつもりです。

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