脚本家 高田純さん

われらが純さんが亡くなった。4月21日ご自宅に近い病院で、心不全だったという。63歳だった。まだ早い、早すぎる。

 

純さんは説明するまでもなく「歌う銀幕スター夢の狂宴」を主催した、日本映画スターファンクラブの主要メンバーの一人で、われわれ荻大メンバーにとって頼りになる兄貴分でもあった。ただ、当時は僕は個人的にそれほど純さんと話したり行動したことはなかった。なので当時の思い出話はほかのみなさんにお願いしたい。僕と純さんの付き合いはむしろ最近になってからのことだった。ここではそのことを書いておきたい。

 

数年前、ウィーンの事務所にいるときのことだった。何かを検索していた時に、純さんが当時やっていた「牡丹亭」というホームページに行き着いた。そこで純さんは、高橋明さんの「なかなかづくし」について書いていた。そこには「完全な歌詞がわからない」という趣旨のことが書いてあった。

 

ちょうどその時僕は久しぶりに銀幕のテープを聞いていたので、すぐに「なかなかづくし」の歌詞を書き起こして投稿した。それをきっかけにmixiでマイミクになり、メールのやり取りが始まり、やがて赤坂で30年ぶりにお会いしたり茶室に招かれたりといったお付き合いをさせていただくようになったのだ。再会のきっかけは「なかなかづくし」だったわけだ。

 

mixiでのコメントは「もう一花」が口癖だった。その通り、いくつもの企画が同時進行中で、構想を語って聞かせてくれたり、時には「飛行機の中で読んでよ」と大著の脚本を手渡してくれたりした。そのなかのひとつ「遥かな町へ」は、実施が決まったと聞いていた。ぜひ実現して欲しいと思う。

 

お会いしたときに聞いた作品「JOKER 疫病神」の話も忘れられない。それは映画館での打ち合いの末に「おもしろかったぜ」とつぶやいて主人公が絶命するという脚本だった。自分も死ぬときにはそうつぶやいてみたい、とおっしゃっていた・・・。

 

荻大ノートに「墓標銘」のページはいずれ必要になると思っていた。だがこんな形でスタートすることになるとは想像もしていなかった。無念だ。

 

どうかみなさん純さんとの思い出を「コメント欄」にたくさん綴ってください。よろしくお願いいたします。

(大輔)

 

 

 

コメント(3)

ぬまべ Author Profile Page:

拙ブログからの転載で恐縮なのですが、取り急ぎ。

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脚本家の高田純さんが亡くなったのだという。ミクシィ経由で旧友から知らされた。慌ててネットで検索してみると確かにそうだ。

余りにも急なことで言葉を失っている。昨年十月に旧友数名と共に小田原のご自宅に招かれた。自慢のお茶室でお手前を頂戴し、奥様の美味しい手料理をふるまわれつつ、懐旧談と映画談義に花を咲かせたばかりなのである。そのあと同じ月にもう一度、今度は東京駅前の新丸ビルで珈琲をご一緒したのが最後になった。

われわれにとってはTBSアナウンサー林美雄さんの同志にして伝説のイヴェント「歌う銀幕スター 夢の狂宴」(1975年1月19日)の構成台本作者として、はたまた《必殺色仕掛け》から《ピンクのカーテン》に至る日活ロマンポルノ、神代辰巳監督作品の《恋文》(1985)と《離婚しない女》(1986)、若松孝ニ監督・内田裕也主演の《餌食》(1979)などの脚本家として誉れ高い人物である。
正式にはクレジットこそされなかったが、薬師丸ひろ子と松田優作が共演した《探偵物語》(1983)の脚色にも携わったという。ミア・ファロー&トポル共演の不朽の名作《フォロー・ミー》(1972)を大いに意識しつつ、リスペクトを籠めて書いたが「思うことのすべてをやりきれなかった」とは、高田さんご自身の述懐である。
そのほか映画化には至らなかったが、チンピラたちの暴走し自滅する姿を描いた傑作シナリオ《六連発愚連隊》の存在は邦画ファンの間では夙に知られていよう。

TVドラマの脚本は数知れず。そのなかでは「オギノ式」の荻野久作博士の生涯を描いた《法王庁の避妊法》(1989)が個人的には忘れがたい。なにしろ小生も日活撮影所に赴き、ドラマ出演(?)を果たしたからだ。たしか荻野博士役の鹿賀丈史さんが左利きとかで、史実どおり右手で日記(手紙だったか)を書くシーンで博士の手だけの「代役」を仰せつかったのである。「手先となる」とはこのことだ。

三十五年ぶりに昨秋お目にかかった高田さんは物静かな口調と物腰、酸いも甘いも噛み分けた大人(たいじん)の風格。今後のさまざまな映画企画を愉しそうに語っておられた。そのすべてが見果てぬ夢となってしまうとは、どうしても承服できない気持ちである。亨年六十三。いくらなんでも早すぎるよ、純さん。

のり Author Profile Page:

高田純さんの思い出ではないのですが、荻大のみなさんにお伝えしたい情報を一つ。

純さんの訃報を植草さんや邨野さんにお伝えしたが、お二人ともご存知なかったので、もしやと思って林美雄さんの奥様に電話した。やはりご存知なかったが

「三浦さんてどちらの三浦さん?」

と聞かれたので

「金曜パック第2部リスナーでつくっていた荻窪大学の三浦といいます」

と答えたところ

「あら、覚えているわ!一度うちに遊びにいらしたでしょ。今度また遊びにいらして。毎月13日に美雄さんを偲んで色々な方が遊びにくるの。遠慮しなくていいわよ」

とのお言葉。これを逃す手はないと思い

「それではお言葉に甘えさせていただき、荻大のメンバーと伺わせていただきます」

と答え、電話を切った。先日高田さんのお宅に伺ったとき、高田さんの話では「歌う銀幕スター夢の狂宴」のVTRは林さんの奥様が持っているとの話を聞いた記憶がある。伺って、見せていただくことをお願いしたいと思っている。また35年近くたってテープが劣化していることが予想されるので、DVDにデジタル化できないだろうか。

あっこ Author Profile Page:

私は高田純さんとは、お話しさせていただいた記憶がなく・・・たぶん銀幕のときにご挨拶はしたことがあると思うのだが、なんとなく若すぎた私には近づきがたい方であったと思う。
荻大の皆さんのつながりで、最近はもっぱらネットでやりとりさせていただいていた。この1年ぐらい再会のチャンスがあったのに、都合が合わなかったりして、お会いできずにいた。
30数年たった今、再会できるかな・・・と思っていたのに、果たせずに逝ってしまわれるなんて、まさか!の一言です。

自分が大人になった今、純さんに会いたかったな~。

私が大好きな俳優さんが主役の映画シナリオを執筆されていると聞き、ずっと実現するのを楽しみにしていた。どうもその俳優さんはトラブルが続き、なかなか思うように進んでいないとは聞いていたけれど、なんとなく実現するものと思っていた。

人生って、はかない。

数日前にも、亡くなった当日にもmixiやFacebookでのやり取りがあったのに・・・まさか亡くなるなんて。
悲しい。

合掌

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