惜別 原田芳雄さん

あまりにも早い早すぎる死でした。
「大鹿村騒動記」の舞台挨拶時の姿を見て、もう新作の映像は無いな...と思いましたが...。
7月21日・22日 東京青山葬儀所でとり行われた通夜・告別式に参列いたしました。

連日の暑さは何処に?と言うほど涼しい天候の中での通夜は、原田さんのブルースが流れ静謐な空気感が漂っていました。記帳所にて参会者カードを記入し、それを手にしたまま並んでおりますと、驚くことにそのまま一同テント席に通されました。

天台宗の読経が始まり10分ほどして、最後の出演映画となった「大鹿村騒動記」のメガホンをとった阪本順治監督による弔辞。
「兄であり父のような存在の芳雄さん。存在が大きすぎて叶わぬ事でしたが、実は私は友人になりたかった・・・」
どうしようもない喪失感と悲しみに耐えきれぬように、途切れ途切れに悔しさをぶつける様な語り口の監督でした。

再びの読経のなか焼香が始まり、一般参列者も室内に招き入れられスクリーンに見立てた白い花に囲まれているる原田さんと対面。ご本人も気に入っていたと言う遺影の下には、"I・W・HARPER"ならぬ飲みかけの"I・W・HARADA"ラベルのボトルがあり、祭壇右側には、赤いタオルが掛けられたマイクスタンドと愛用のギターが置かれています。このギターでプカプカを歌っていたんだなぁ~。

奥様・喧太さん・麻由さんが一人ひとりにご挨拶の対応をしてくださります。

御会葬御礼
故 原田芳雄儀に際しましては、ご多用中にも拘りませず御会葬を賜わり、又丁重なるご厚志をいただき誠にありがとうございました。
生前のご厚情を深く感謝申し上げますとともに、これからも変わらぬ御交誼を賜わりますようお願い申し上げます。
また、今後もスクリーンの中の原田芳雄ともお会いいただけたら幸いです。
早速お伺い致しご挨拶申し上げるべき処略儀ながら取り急ぎ書面をもって御礼申し上げます。    

            喪主 原田喧太
               原田章代
               原田麻由




告別式開始10分前に会場に到着すると、昨夜とは変わって【ファン焼香所】が設置されており150人程の方が、正面のボード「ありがとう 原田芳雄」(原田芳雄部分は直筆サイン)と白い花・大きなポートレート3枚の前に大人しく並んでおりました。
「龍馬暗殺」の懐から長ピストルを出している特大パネルが右側。
左側には白いハットを被ったダンディーな原田さん(帽子ではなくやはりハットとしたい)。
そして遺作となった「大鹿村騒動記」の一場面、椅子に座っている原田さん。

会場にはコンサートの音源が流されており、「今日は来てくれてありがとう!元気に歌い続けます」の声も入って...涙。居酒屋原田は日本酒『夜明け前』を「ありがとう 原田芳雄」と印刷された紙コップにて振舞われ、捨てるのも淋しいので紙コップはそのまま持ち帰りました。

告別式の弔辞は2名の石橋。元日本テレビの石橋冠氏と俳優の蓮司さん。

冠さんの弔辞は15分にも及び、初めての出会いは1970年のデモだったこと。二人であちこち珍道中したことや、飛行機が苦手なくせに「沖縄に行こう」と言い、結局行き先は宮崎になったこと。旅先で大喧嘩しながらも、車の運転が出来ない原田さんを長時間乗せて帰ったこと。日本映画の撮影で中継車やVTRロケを使うという発案は原田さんによるものという、貴重な話等などが続きます。

一方、蓮司さんは・・・
「死んだなんて冗談だと言って欲しい」
「二人で一緒にやった映画は全てうまくいったな」
声に張りが無く聴き取りにくい箇所もあるほど憔悴していらしたかと。

ファン焼香所でお焼香を済ませた私は、図々しくも屋内に潜り込み、関係者に混じって2度目のお焼香。おまけに出棺最後のお別れでオダギリジョーさんの横でお花まで入れてきました。
「朝日の当たる家」「リンゴ追分」「横浜ホンキー・トンク・ブルース」「蒼い影」が流れる中、次から次へと最後のお別れが続きます。

喪主である喧太さんの挨拶。
オヤジの言った中で特に好きな言葉。
「こんな商売をさせてもらっているのだから、真剣に遊ばなければ失礼だ」
祭りごとが好きだったオヤジです。原田芳雄の役者人生に3本締めをお願い致します。


「よぉ~」で会場に鳴り響く3本締めは凄かったが、それに引き続いた鳴り止まぬ拍手はそれにも増して感動的でした。 
 
「愛の賛歌」で出棺。
斎場には見送る人々のありがとうの拍手がいつまでも続いていました。

コメント(7)

大輔 Author Profile Page:

いま自分の編集が佳境なので参列することができませんでした。貴重なリポートをありがとうございます。次は日芸時代の原田芳雄コンサートの裏話もぜひ書いてください。われわれ学生のイベントにも真摯に向き合ってくれた原田さん。その映画を愛するピュアな魂が忘れられません。改めて感謝の気持ちを伝えたいという思いが募ります。

ぬまべ Author Profile Page:

情景がありありと浮かぶような素晴らしい報告をありがとうございます。

通夜や葬式がどうにも苦手で足を運ばなかった小生のような者ですら、「ああ参列すればよかった」と思えるような、人との絆を大切にする原田さんに相応しい見事な会でしたね。

お通夜でご家族がファンひとりひとりにも応対したというのも立派ですし、もろもろの飾り付けや流れる音楽まで、原田さんが納得するであろう綿密な心配りが感じられますね。

石橋蓮司の弔辞の一部はNHKのニュースでも流れました。「芳雄、おまえの力と身体はまだまだ日本の映画界に必要だよ」と絞り出すような声で。四十年来の盟友ですものね、その心中はいかばかりか。

息子さんが紹介した「こんな商売をさせてもらっているのだから、真剣に遊ばなければ失礼だ」という言葉。それを発するあの声が聞こえてくるようです。

イケチン Author Profile Page:

拙い報告でお恥かしいのですが、多少なりとも皆様に葬儀の様子をお伝えできたらと想い記載いたしました。
それにしても、原田さんが映画界に残した痕跡の大きさを、あらためて思い知らされました。


持塚弓子

仁 :

早いもので青山葬儀場で芳雄さんにお別れをして1年が経った。昨年の秋には長野の大鹿村で「六千両後日文章 重忠館の段」も見せてまらった。
俺ってそんなに「原田芳雄」好きだったのかぁ?自問自答してると、部屋のあちこちからLPやらtakeoff7のチケットやら...
好きだったんだなぁ...

Anonymous :

主役脇役アウトロー すばらしい役者だった!

仁 :

早いもので7月19日は芳雄さんの七回忌なんだなぁ。昨今めっきりテレビを観る事が少なくなった。思い返せば「高校生レストラン」を毎週楽しみにしてたのも松岡君と吹石さんの僧侶で頑固な親父さんの芳雄さんが観たかったんだ。最終話に近づくと芳雄さんの登場シーンが無くなり...そして、週刊現代でのショッキングな記事。
サントリーの角「ウィスキーを70年やっとります。」のCMも好きだったなぁ。今なら77年イヤ、もっともっと映画やテレビで活躍していただきたかった。
その後、芳雄さんのお墓の抽選はどうなったんだろうか。気になっています。

大輔 Author Profile Page:

仁様 コメントありがとうございます。時の経つのは本当に早いですね。でも我々に強烈な印象を残して行った方たちの魂は永遠なのだ、とも思います。この世に残された我々に出来る事は、せめて彼らの事を後の世代に語り継いで行く事なんでしょうね。ぜひまた、コメントをお願いいたします。

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