小田急線各駅飲酒 第1回 新宿駅

これから小田急線を新宿から小田原まで各駅一つの居酒屋をとりあげ連載を始める。チェーン店を取り上げるつもりはない。開店年数にかかわらず、各駅の地元に根付いた居酒屋を書き続けていきたいと思う。私も居酒屋で飲み始めて40年近い歳月が経つが、居酒屋に行く理由は、ただ酔いたいだけではなく、店の店主や常連に会いたいからだと思う。そして、その店の共同体的な雰囲気のなかにひたり、自分の座標軸を確認したいのだと思う。世の中には数限りない居酒屋があるが、その一軒一軒に固有の世界が存在する。その世界を書いていきたいと思う。

新宿から自宅のある新百合ヶ丘まではおおよそ各駅ごとに書きたい店のめどがたっている。サラリーマンの飲酒は帰宅途中の途中下車が基本である。各駅に常連である店があるので新宿から新百合ヶ丘までの23駅については書く自信がある。しかしその先、柿生から小田原までの24駅はまるでわからない。

長征である。毎月1駅のペースで書くと4年近くかかる。中国共産党・紅軍の長征でさえ2年あまり。この「小田急線各駅飲酒」を通して、色々な居酒屋と出会い、あるいは再会して、自分の60歳以降の人生を豊かなものにし、革命を起こしたい。
などと大きなことを書いたが、ただ飲兵衛の漫遊記に終わるかもしれない。まあ、お読みください。

●第1回 新宿駅

新宿駅でどこか1軒と考えると難しい。居酒屋は数限りなくあるが、その多くはチェーン店であり、地元に根付いて駅にも近くこの連載の趣旨に合う店というのはなかなかない。すぐに思いついたのは「思い出横丁」の「つるかめ食堂」で、この1年間よく行くようになったのだが、夏頃から改装中で建物は取り壊され、いまは影も形もない。
この店でのエピソードはいくつかあるが、おやじさんや娘さん(?)にいま話を聞くことができないので、エピソードが広がっていかないし、写真を撮ることもできない。
悩んだ末、小田急線の新宿駅から少し離れているが、私にとっての帰宅途中に立ち寄る居酒屋ということで、新宿ゴールデン街の『中ちゃん』という店のことについて書くことにした。

私が『中ちゃん』に初めて行ったのは、1973年。大学1年生の頃だと記憶している。当時、通い出した同じゴールデン街の店『レカン』のママである「のりちゃん」に、『レカン』が深夜12時の閉店後連れていってもらったのが最初だった。
『レカン』ものりちゃんの旦那が映画のカメラマンだったので映画関係者が多かったが、『中ちゃん』もマスターの吾郎さんが役者あがりだったこともあり、若い映画関係者演劇関係者が集まる店だった。大学で映画研究会に所属していた私にとっては、そこで交わされる会話は魅力的であったし、なにより、女優の卵など若くて可愛い女性と話ができるので、自然と足が向いた。

1969年に開店した『中ちゃん』だが、当時の常連には明治学院大学映画研究会OBの集団や「転形劇場」の役者だった大杉漣さんなど、元気のいい若者たちがいた。何がきっかけだったのか分からないが、彼らと「ホワイト・ドランカーズ」という草サッカーのチームを作り、日曜日に二日酔いの状態で試合をしたことが何回かある。
チーム名は、『中ちゃん』でみんながボトルキープしていたサントリーの「ホワイト」に由来している。当時常連のほぼ全員が「ホワイト」をボトルキープしていた。当時「ホワイト」は市販で1000円。『中ちゃん』のボトルキープで3000円だった。

話が思い出話にそれたが、当時のゴールデン街の飲み方は「はしご」が基本だった。学生だったのでそれほどお金を持っていたわけはないのだが、毎晩3軒4軒と「はしご」をしていた。「レカン」「中ちゃん」に始まって「ひしょう」「ちろりん村」「くらくら」「ナナ」「サーヤ」「ふらて」・・・そして最後に「小茶」。
それができたのはゴールデン街の店の多くに「チャージ」が存在しなかったからで、ビール1本400円で1時間くらい飲んでいられたし、顔を知った"先輩"がいると1杯ありつけた。
大学4年のときアテネフランセ文化センターが開講した「映画美学技術講座」に毎日通っていたので、講師の映画関係者とのコネクションが飛躍的に増え、深夜ゴールデン街で遭遇すると「先日の講義のお話で質問があるんですが?」と近づいては、ビールや食べ物をハイエナのごとくご馳走になっていた。
そういう若者たちが店を行き交う当時のゴールデン街のエネルギーは凄まじいものがあり、それが街の魅力になっていた。そして多くの夜は深夜0時40分近くになると勘定をすませ、小田急線0時50分新宿発の最終電車に乗るために、店をでて全力疾走した。どんなに飲んでも、不思議と乗り遅れたことがない。いや、乗り遅れた記憶がないだけかもしれない。朝、目がさめて、知らない人の家にいた記憶は山のようにある。

それから40年。ゴールデン街もすっかり高齢化した。「中ちゃん」のマスター吾郎さんも60歳くらいになったはずで、2年くらい前に大病を患い、深夜の営業を控え、開店時間を夜7時から夕方5時に早めた。客も高齢化し、私のように病気持ちが増えたので、夕方早い時間に飲む客が増加したのだ。

この店の名物は毎月第1金曜日に吾郎さんが作る「特製カレー」。最近客が以前より減った『中ちゃん』だが、第1金曜日だけは7時頃になるとカウンター約8席が必ず満員になる。この「特製カレー」をフランスパンと一緒に食べると最高の「あて」になるのだ。なかにはタッパウエアを持参して「お持ち帰り」を頼む客も何人かいる。

バブルの時代に地上げで「消滅」の危機が噂された「新宿ゴールデン街」だが、それから20年。最近は若い世代の店主も増え、最近はこの夏、大久保公園で「新宿ブルースナイト」というコンサートを企画するエネルギーもみせた。まだまだ、これからの「新宿ゴールデン街」に期待するのは私だけではないだろう。

nakachan01.jpg nakachan02.jpg

(のり)

コメント(2)

大輔 Author Profile Page:

ラグビー経験者の僕ですが、二日酔いでラグビーってなかなか出来ることではないと思います。のりさんからは「ピンク・エレファント」というチームについては聞いていたのですが、その前に「ホワイト・ドランカーズ」があったとは!この連載で初めて知りました。ご本人がおっしゃっている通りこの連載は「長征」です。最低でも今後4年間は絶対に飲み過ぎないように、飲み過ぎて体を壊さないようにお願いします!

のり Author Profile Page:

体についてお気遣いいただきありがとうございます。この4~5年は翌日に二日酔いになるような飲み方はしていないのでご安心ください。ただ最近仕事が忙しくなってきたので、フラストレーションをお酒以外で解消する必要があると感じています。

コメントする