小田急線各駅飲酒 第11回 経堂~「T」

経堂については、なかなか書き始めることができずにいた。理由はある時期とても愛して毎日のように通っていたにもかかわらず、ある出来事が理由でぱったりと行かなくなってしまった店があるからだ。「T」というその店は夫婦でやっている店で、2000年、リハビリ病院から退院し、復職した私は飲酒を夕方に限ることにしたのだが、そのとき通勤途中に発見したのが、経堂で夕方4時に開店するこの店だった。

通い始めると「T」はいい店だった。酒は日本酒と芋焼酎の美味しいものをだし、
食べ物も魚料理と肉料理の美味しいものを出していた。比較的に安い店だったが、時々は1個1000円のサザエの壺焼きを出したりもしていた。マスターは鹿児島出身のとても人なつっこい性格の人で、客もコアな酒好きが多かった。ここで知り合った近くの陶芸教室の先生と親しくなり、陶芸教室に通い出したこともあった。飲んでいて飽きない店だった。芸能人もときどき顔をだしていた。マスターと同郷の西郷輝彦と何回か同席したことがあった。

鮮烈な思い出もある。ある夕方店に入ると、女優の宮下順子さんと離婚したばかりの李 麗仙さんが "べろんべろん"に酔っぱらって大声をあげていたことがあった。その声は「男なんてなによ!」というものだった。男を知り尽くした女性2人の罵倒だけに説得力があり、その上酔って目もすわっていたので迫力があった。"うるさがた"の常連男性がカウンターの隅にいたが、二人とは目を合わさないように下を向いて飲んでいた。からまれた場合男性に勝てる見込みは「千に一つ」もなかった。私もカウンターに座ってから注文の声をあげることができず、マスターがにが笑いしながら持ってきたビールを1時間のあいだ黙って"ちびちび"飲んでいるしかなかった。

ただ、これは幻影だったかもしれない。後日「しんゆり映画祭」のゲストとして
来られた宮下順子さんと打ち上げで同席したとき「経堂の居酒屋でお見かけしたことがあります」と話しかけたが、「経堂の居酒屋なんか行ったことないわ」と即座に否定されていたので、多分私は酔って幻影をみたのだろう(ということにしておこう)。

こんな飲兵衛には申し分のない「T」だったが、一つだけ欠点があった。女将さんが「お勘定」をするとき、必ず私の計算より10%くらい高めにずれるのだ。たいした額ではないので気にしないことにしていたが、あるときから足が遠のき1年ぐらい行かなかった。そして1年後に行ったとき決定的なことが起こった。


この店の名物は「つくね揚げ」だ。美味しいうえに3個で380円と安い。私は3個のうち2個をソースで、1個を醤油で食べるのが好きだった。その日も「つくね揚げ」を頼むと女将がこう言った。

「のりさん、つくね揚げ一皿2個だからダブルで4個頼まない?」

その瞬間店を沈黙が支配したのが分かった。常連客はだれでも「つくね揚げ」を食べる
ので一皿3個は誰でも知っているのだ。年配のYさんは唖然とした顔で女将さんを見ていた。マスターがあわてて「つくね揚げは一皿3個だよ」と叫んだ。

それから、もう4年間「T」に行っていない。「小田急線各駅飲酒」に書いたからには、
今どうなっているのか、確認にこれから行かなくてはならない。だから、この店については「荻大ノート」に書きたくなかった。行くのが怖い。

                               <続く>

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