ロンドン・ストリート物語(4)Wardour Street
ウォードー・ストリートと読むらしい。初めのうちは読み方に苦労した。ドイツ語風に発音すればヴァルドア・ストリートになる。そもそもロンドンには普通じゃない読み方が多くある。Leicester Squareがなぜレスター・スクエアになるのか、Gloucester Roadがなぜグロスター・ロードになるのか合点が行かない。元々人名だからと説明されてもなんとなくすっきりしない。でも、まあこの通りは、どうやらウォードー・ストリートというらしい。
ウォードー・ストリートはSOHOのど真ん中を南北に貫く通りだ。
なかなかSOHOから出られないこのシリーズだが、こうなったら行く所まで行くしかない。(笑)
この通りは一言で言えば「音楽通り」。もう少し詳しく言えば「ポップ・ミュージック通り」もしくは「ロック・ミュージック通り」ということになるだろうか。ここにはかつて「マーキー」や「フラミンゴ・クラブ」といったライブハウスがあった。古くは50年代から60年代70年代80年代までUKロックとポップスの発信地だった。ビートルズ、ストーンズ、ジミ・ヘン、ヤードバーズ、ピンク・フロイド、クリーム、ザ・フー、キング・クリムゾン、フリー、T・レックス、クイーン、デビッド・ボウィー、ポリス、U2などなどがここを根城にしたり熱いステージを繰り広げたりしたという。
今は無きこれらのクラブに代わってこの通りには現在もおしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ。新しいロッククラブもきっとあるのだろうが、残念ながらまだそこまで散策が進んでいない。でもこの通りには懐かしさと親しみが交錯する。それは10年以上に渡って、仕事場として何度もここに足を運んだからだ。この通りにはクラブだけではなく多くのレコーディング・スタジオや編集スタジオがある。特に僕がよく通ったのは117番地の地下にあったジェミナイという録音スタジオ。残念ながら去年クローズしてしまったが、そのおかげでさらに伝説的なスタジオで仕事をする機会に恵まれた。
そのスタジオはトライデント・スタジオ。ウォードー・ストリートを117番地よりもさらに北へ数ブロック進んだ右側にセイント・アンズ・コートという路地がある。狭いけれど街頭に花を飾ってあるとてもおしゃれな路地だ。ここにある青い扉がそのスタジオの入り口だ。トライデントという名前にどれだけの人が反応するか僕には知る由もない。だがこのスタジオの由来を聞いたら誰もが「なるほど」と思うかもしれない。
ここは1968年7月ビートルズの「ヘイ・ジュード」が録音されたスタジオだ。そのあらましはこうだ。当時アップルレコードを設立したビートルズは新しいアルバム「ザ・ビートルズ」(ホワイトアルバム)を制作中だった。ちょうどその頃、英国で初めてドルビーシステムを備えた8トラックの録音が可能な音楽スタジオが開業した。それがこのトライデントだった。ちなみにアビーロード・スタジオはまだ4トラックを使っていた。
最新の録音機材を使いたいと考えたのはポール・マッカートニーだ。実は「ヘイジュード」はスタジオ機材の互換性などの面からミックスダウンの段階であまり良い結果は得られなかった。それでもポールはトライデントの雰囲気から何から全てが気に入ってここを良く使った。そしてポールはアップルレコードが送り出す新人女性歌手のレコーディングをここトライデント・スタジオで行った。タイトルは「Those were the days」。メリー・ホプキンの「悲しき天使」の誕生だった。1968年8月にリリースされたこの曲は全英1位全米2位のミリオンセラーとなった。
英国音楽界の「老舗」となったトライデント・スタジオは、今も元気に仕事を続けている。日々生み出される作品がどんな運命を辿るかは「神のみぞ知る」だが、ヒットした作品に関しては上記の写真のようにレコードジャケットとレコード盤が額に入れて飾ってある。週に1日(たしか木曜日)には10ポンドでガイディング・ツアーも催されている。ロンドンに滞在する機会があったら一度訪れることを勧めたい。きっとそれぞれの世代にとって忘れられない音楽との再会があるだろう。
ウォードー・ストリートはSOHOのど真ん中を南北に貫く通りだ。
なかなかSOHOから出られないこのシリーズだが、こうなったら行く所まで行くしかない。(笑)
この通りは一言で言えば「音楽通り」。もう少し詳しく言えば「ポップ・ミュージック通り」もしくは「ロック・ミュージック通り」ということになるだろうか。ここにはかつて「マーキー」や「フラミンゴ・クラブ」といったライブハウスがあった。古くは50年代から60年代70年代80年代までUKロックとポップスの発信地だった。ビートルズ、ストーンズ、ジミ・ヘン、ヤードバーズ、ピンク・フロイド、クリーム、ザ・フー、キング・クリムゾン、フリー、T・レックス、クイーン、デビッド・ボウィー、ポリス、U2などなどがここを根城にしたり熱いステージを繰り広げたりしたという。
今は無きこれらのクラブに代わってこの通りには現在もおしゃれなカフェやレストランが立ち並ぶ。新しいロッククラブもきっとあるのだろうが、残念ながらまだそこまで散策が進んでいない。でもこの通りには懐かしさと親しみが交錯する。それは10年以上に渡って、仕事場として何度もここに足を運んだからだ。この通りにはクラブだけではなく多くのレコーディング・スタジオや編集スタジオがある。特に僕がよく通ったのは117番地の地下にあったジェミナイという録音スタジオ。残念ながら去年クローズしてしまったが、そのおかげでさらに伝説的なスタジオで仕事をする機会に恵まれた。
そのスタジオはトライデント・スタジオ。ウォードー・ストリートを117番地よりもさらに北へ数ブロック進んだ右側にセイント・アンズ・コートという路地がある。狭いけれど街頭に花を飾ってあるとてもおしゃれな路地だ。ここにある青い扉がそのスタジオの入り口だ。トライデントという名前にどれだけの人が反応するか僕には知る由もない。だがこのスタジオの由来を聞いたら誰もが「なるほど」と思うかもしれない。
ここは1968年7月ビートルズの「ヘイ・ジュード」が録音されたスタジオだ。そのあらましはこうだ。当時アップルレコードを設立したビートルズは新しいアルバム「ザ・ビートルズ」(ホワイトアルバム)を制作中だった。ちょうどその頃、英国で初めてドルビーシステムを備えた8トラックの録音が可能な音楽スタジオが開業した。それがこのトライデントだった。ちなみにアビーロード・スタジオはまだ4トラックを使っていた。
最新の録音機材を使いたいと考えたのはポール・マッカートニーだ。実は「ヘイジュード」はスタジオ機材の互換性などの面からミックスダウンの段階であまり良い結果は得られなかった。それでもポールはトライデントの雰囲気から何から全てが気に入ってここを良く使った。そしてポールはアップルレコードが送り出す新人女性歌手のレコーディングをここトライデント・スタジオで行った。タイトルは「Those were the days」。メリー・ホプキンの「悲しき天使」の誕生だった。1968年8月にリリースされたこの曲は全英1位全米2位のミリオンセラーとなった。
英国音楽界の「老舗」となったトライデント・スタジオは、今も元気に仕事を続けている。日々生み出される作品がどんな運命を辿るかは「神のみぞ知る」だが、ヒットした作品に関しては上記の写真のようにレコードジャケットとレコード盤が額に入れて飾ってある。週に1日(たしか木曜日)には10ポンドでガイディング・ツアーも催されている。ロンドンに滞在する機会があったら一度訪れることを勧めたい。きっとそれぞれの世代にとって忘れられない音楽との再会があるだろう。
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