2011年の総括 「便りが無いのは・・・」
4月24日に宮崎宅に行ってから特に大きなトラブルは発生していない。
ただし、その間に何もなかったかというとそうではない。
N氏や、わが畏友HIRO君が私に代わって宮崎の面倒をみてくれていた。
その甲斐もあって、万事つつがなく進行しているのかと思われた。
しかし、「便りのないのはいい便り」という話は、こと宮崎に関しては当てはまらなかった。
便りがないのはそのまま「メールが打てない」ことを意味していたのだ。
宮崎にパソコンを勧めたのは、もちろんネットの世界に触れて信じられないくらいに多彩な世界を知ってもらうこともあった。しかし、それと並び、それ以上に宮崎に今までの経験・体験を発信してもらうことも重要な目的となっていた。
何気ない会話の端々に自ら体験したものでなければ語れない様々な話題が織り込まれ、そのどれもが我々を笑わせ、驚かせるものであったことから、これを発信しないことはそれこそもったいないことに思われた。
しかるに! ちょっと目を離すと宮崎はyoutubeを見まくり、ネットオークション遊びにでかけ、メール1つ打てなくなっていたのだ。これではとても「発信」どころではない。
まてよ、そんなもの入れたら、中南米からアジア、アフリカまで音楽を聞きまくっている宮崎がますます「発信」しなくなるのではあるまいか、と思われたが、そこは別途手立てを考えることとして、とりあえず終了。無事ブラジルの放送やセネガル(ジンバブエだったか?)の放送を聞くことができた。
そこで、宮崎には課題を出した。「大輔編集長に毎週メールを送ること」だ。
まず文章を打つことに慣れてもらわないことには「発信」どころではない。そこで、荻大ノートの編集長で本デジタル化計画にも深い関心を抱いてくれている大輔君に毎週メールを差し上げて、近況・雑感を報告することにより「便りのある」状態を確保してもらうこととした。
(大輔君、ご負担でしょうが、どうぞ相手をしてやってください)
(大輔君、ご負担でしょうが、どうぞ相手をしてやってください)
その後、荻大ノートに宮崎のコーナーをつくることも申し渡してあるので、いずれはそこで我々をうならせるような記事を連発してくれることを信じてやまない。
私をさんざん苦しめた最初のパソコンもHIRO君に手によって、立派に再生した。
これでバックアップ機器まで揃ってしまった。HIRO君は何しろ8ビットの時代からパソコンに付き合っている手練れ者なので、こんなことは雑作もないことのようである。人選を誤ったとしかいいようがない。
これでバックアップ機器まで揃ってしまった。HIRO君は何しろ8ビットの時代からパソコンに付き合っている手練れ者なので、こんなことは雑作もないことのようである。人選を誤ったとしかいいようがない。
[復活した旧機]
2012年は、「宮崎デジタル化計画 第2期 画像と音声をアップする デジカメの撮影から」がスタートする予定である。
おらが様
千里の道を歩むがごとき粘り強い取り組み敬服します。いま「荻大ノート」に欲しいのは、宮崎の原稿だと私も感じています。先日も年末の「カルメン・マキ リサイタル」で「NORDー北へ」という阿部薫と鈴木いづみの物語を歌った曲を聴きながら、宮崎に阿部薫について書いて欲しいと思いました。まだ見ぬ「宮崎原稿」を待望します。
メール・・・来ないな〜?
待ってるんだけど・・・SPAM登録されているのかな???