宮崎デジタル化計画(8)ブロイカーと阿部薫

宮崎デジタル化計画は、2012年2月になって急に加速度的な進展を見せている。

ネットの宇宙を漂流し続ける「宮崎号」は彗星のような楕円軌道を描いているものと見られ、我々から遠ざかって一切の通信が途絶えていたと思ったら、急速に接近してきて様々な通信を各地に試みるなど活発な行動が報告されている。

こうした中、先日驚くほど詳細なフリージャズ・アーチストに関するリポートが届いた。デジタル化の「師匠」として知られるおらがさん宛に届いたものだ。以下にほぼそのまま全文を掲載して報告する。このままうまく行けば、近い将来「宮崎号」からの定期的なリポートが届くようになることも夢ではない。

ぜひ皆様から応援のコメントを寄せていただきたい。(大輔)

 

(以下は宮崎からのリポート)

去年は大切な影響を受けた人が逝ってしまった年でした。私にとって彼もそのなかの一人でした。 ウィレム・ブロイカー、オランダの前衛サックス奏者です。

何度か日本にも来日して演奏中に歯ブラシと歯ミガキ粉をポケットから取り出して歯みがきを始めたり、 サックス ソロの途中でうがいをしたり、そんなに広くないライブハウスの中を皆で行進したりと、超絶技巧をアナーキーとユーモアでコーティングした様な素敵で楽しい彼等のコンサートを忘れられません。演奏が終わればただの酔っぱらいのオヤジにしか見えないけど、素敵な肩の力が抜けた不良中年。

コレクティーフの音楽を想う時、いつも高校生の私を夢中にさせた藤川義明のナウミュージック アンサンブルとドイツの左翼過激派ブラスバンドの類似と相違が頭をよぎる。同時期にオランダと日本とドイツで過激な演奏活動をしていた3つのバンド。日本とドイツは短命だったがブロイカーはコレクティーフを率いて死ぬまで(去年)活動していた。

ドイツではデモの先頭に立ち、ブロイカーはヨーロッパの現代音楽祭で顰蹙をかい、日本ではライブハウスの隣の料理屋のオヤジが「演奏をやめろ!」と包丁を握りしめて殴りこんで来たり、演奏を止めようとするオマワリともみ合いながら演奏していた。ナウ ミュージック アンサンブルはアングラ演劇の影響もあったと思うが、落語のアナーキーでナンセンスなところに、いや落語を音楽で演じていたのかもしれない。

それにしてもジジイになったブロイカーの音楽が聞きたかった、勝手な妄想だが殿山泰司がサックスを吹いている映像が浮かんでしまう。若い時は過激に無茶をし、年を重ねて肩の力が抜け、でも柔らかい頭と矜持は失わずに枯れて行き素敵なジジイになる(愛人は必要条件じゃないけどワガママはありかも) もし殿山さんがサックスを吹いたらどんな音が零れてくるんだろう?

コレクティーフは音楽だけのCDよりyoutubeの方が映像があって楽しいかもしれません、それにしてもyoutubeは凄い。一年前はこんなマイナーな音楽の映像が簡単に見られるなんて想像もつかなかった。

WILLEM BREUKER KOLLEKTIEF

ウィレム・ブロイカー(1944-2011)オランダ アムステルダム生まれ 65年頃から前衛サックス奏者として注目をされる様になる 67年ICP(インスタント コンポーザーズ プール)を結成、60年代末頃からきつい冗談のパフォーマンス色が強くなる。74年にマーティングバンド、キャバレー音楽、ブレヒト、フリージャズ、などの要素を入れたシアターミュージック 「コレクティーフ」を結成。

タイトル A PARIS / SUMMER MUSIC (1978年2月4日 パリ録音)

曲名

1. PARABASIS (6'44)

2. ANABELLE (3'49)

3. CONDIZIONE NIENTE (8'14)

4. LET'S FALL IN LOVE (2'48)

5. WAKE UP (4'35)

6. SUMMER MUSIC (15'53)

演奏者

Boy Raaymakers (tp) Jon Wolff(French horn) Willem van Manen(tb)Bernard Hunnekink(tb)
Willem Breuker(ts as aa) Bob Driessen(as ci) Maarten van Norden(tass)
Leo Cuypers(pf) Arjen Gorter(bass) Rob Verdurmen(ds)

 

荻大ノートののりさんのコメントを見て、阿部薫について考えCDも聞き返したけど、彼を語るのは本当に難しい。阿部はいつも「俺のサックスを何十回聞いたってお前には俺の事は理解出来ない」みたいなオーラを発する人だった。

それでも彼のサックスに魅せられて「ぴあ」で彼の名前を探しては知らない町の小さな喫茶店などに聞きに行った。阿部にレギュラーのライブハウスは無くて1.2回出演しては姿を消し、しばらくすると別の店に突然出演し短期間でまた姿を消すといった具合で彼の演奏を聞くのは大変だった。例外は死ぬ前の一年間(1978年)初台の「騒」に月2回位レギュラー出演していたと思う。

今思うと前述のオーラは私の思い込みの様な気がしている、二十歳前の小僧には演奏以外の部分にも過剰に反応していたんじゃないか。阿部薫については自分の中でもっと整理する必要があるなぁ。

こんな戯言 のりさんには悪いけど荻大ノートに載せる価値無いなぁ・・・

 

コメント(4)

宮崎君 元気でなにより。
数年前から年賀状が「住所不明」で届かないのでどうしたかと思案していましたが コラムを拝読するとなかなかな活躍ですね。 また機会があれば昔話をしたいと思います。杉本

のり Author Profile Page:

あきらさん、「こんな戯言」でいいんです。論文じゃないんですから。
荻大「ノート」です。感じていることをどんどん書き留めてください。

のり Author Profile Page:

あきらさん「こんな戯言」でいいんです。論文じゃないんですから。荻大「ノート」です。感じたことをどんどん書き留めてください。

大輔 Author Profile Page:

その後、宮崎本人から訂正が入りました。ウィレム・ブロイカーの没年は2010年だそうです。本文には訂正を加えずにコメントで訂正します。時が経つのが早すぎて無理もないですね。

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