宮崎デジタル化計画(5)Your Eyes Only 赤い報告書
夕方から放射能を含んだ雨が降り始めていた。
新橋のガード下で連絡員と接触を果たした。
6月初旬のことだった。
互いに傘をさしたまま居酒屋のメニューを読み上げる。
「天ぷら盛り合わせ」
「お肌つるつる」
無事に合い言葉が伝わった。
背の高い黒めがねの男は小さな固いモノを手渡して去って行った。
ガード下を歩く人々は誰も気にかけていない。
僕の手元に赤いメモリースティックが残された。
極秘(Your Eyes Only)の赤い報告書だ。
この中に極秘の計画「宮崎デジタル化」の全貌が詰まっている。
僕の肩がふるえたのは降り始めた雨のせいだけでは無かった。
じっとしていると危険が迫ってくる気がして地下鉄に急いだ。
隅田川がすっかり増水し水面は真っ黒に見えた。
「黒い雨」という映画のタイトルが脳裏をかすめる。
その黒い水面に自分の死体が浮いているというイメージを振り払うのに苦労した。
スカイツリーを横目に眺めながらアジトに戻った。
さっそくファイルに目を通す。写真入り。非常に詳しい報告書だ。
これがマスコミの手に渡ったら今の政府は吹っ飛ぶだろうか?
やつらはもう気づいているだろうか?
僕は一睡もしないで夜明けを待った。
7時過ぎ。表通りを走る車が増え始めた頃アジトを出た。
人目につかない地下のコインランドリーから直接通りに出てタクシーを拾った。
赤い報告書はリュックの中、一番大事なパスポートと一緒にしてあった。
2日後。報告書は無事にウィーンに輸送された。
IAEA国際原子力機関の本部があるウィーンでは「フクシマ」の事故をめぐる閣僚級会合が予定されていた。日本政府の公式の報告書がここで各国代表に配布されることになっていた。
世界中のマスコミがウィーンに集まっていた。
日本からは全テレビ局がロンドンやパリの支局から記者やカメラマンを派遣していた。
いくつかの社から接触があった。「報告書」について何か知らないか?という問い合わせだ。やつらはもう気づいているに違いない。「赤い報告書」が僕の手にあることを。
記者の一人とドナウ川を臨む水上カフェで会うことになった。
ビールとスペアリブが人気の店だ。
日本政府の報告書は一定の理解を持って受け入れられた、ということだった。
欧州は原発を安全に管理しながら当面存続させる方針だという。
僕はポケットの中の赤いメモリースティックを握りしめた。
夜8時過ぎ。ドナウ川は夕日にオレンジ色に染まり始めていた。
そこに浮かんだら水が冷たいだろうな、と思った。
僕はメモリースティックを渡さずに旧市街のアジトに持ち帰った。
それからしばらくほとぼりが冷めるのを待った。
IAEAの会合が終わり、各国メディアは潮が引くようにウィーンから姿を消した。
日本では首相が脱原発路線に転じたため、執行部があわてて引きずりおろそうとしていた。
裏では電気労連なども激しく動いているらしい。
僕は「赤い報告書」を友人に託すことにした。
僕の身に何かあったら報告書は荻大ノートに公開される手はずになっている。
もし公開されたらその時は・・・僕のために祈って欲しい。
おや、こんな時間に誰だろう、宅配便だろうか・・・。
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