SAYONARA 2011(5)あらかわ

キボウ2012は書けそうにないので、遅ればせながらサヨウナラ2011を。

私にとって2011年は、福島原発事故の年でした。フクシマにはじまりフクシマに終わったというかんじです。
そして年越し。なんとも憂うつというか、晴れない気分で、絶望的という言葉も浮かんでしまい、内向きになるばかり。

原発事故のことはいろいろにあるのだけれど、こんな気分になる最大の問題は、いまも福島に人が住みつづけていることです。
原発事故の被害を小さく見せたい、「収束」を語りたい政府は、福島の人たちを逃がそうとはしないし、一方には、逃げようとしない(その事情は想像できるにせよ)ここにいつづけると頑張ってしまう人々がいる。放射能といくらたたかっても、勝つことはできないのに‥‥。

チェルノブイリ原発事故のときに反原発運動をにない、その後チェルノブイリ周辺で起こったことを知り、あるいはそれ以前にも核実験が行われたマーシャル諸島で、死の灰=放射能をあびた人々に起こったことを見てきたものとしては、このままでは福島もまた、マーシャル諸島やチェルノブイリと同じ運命をたどることになると思わざるをえないのです。

放射能は目には見えないし、感じることもできない。そうとう高いレベルでないと身体の異常は感じない。だからそこにいても暮らせると思ってしまうのだけれど、5年、10年たったときにはその正体をあらわす。
福島でも、まず子どもたちのあいだで甲状腺の異常やガンが(チェルノブイリでは4年後から)、それにつづいて様々な病気やガンが、目に見える人数であらわれることになります。でもそのときにはもう手遅れ、時計の針をもどすことはできない。そして政府は、その病気は放射能が原因かどうかはわからないと言うのです。
(先日見たテレビ朝日系列のドキュメンタリーでは、原爆投下のあとで広島に入って甲状腺腫瘍をわずらった甲斐昭さんという人に対して、政府はやっと原爆症の認定をしたものの放射線の影響については否定しつづけていることを伝えていました)
歳をとった人はいいとしても、子どもや若い人はほんとにやばいと思う。いま逃がせるかどうかが、5年後、10年後の運命を決めてしまうのです。

それなのに政府は「避難」ではなく「除染」を語っているし、さらには原発を再開しようとしていて、ベトナムへの原発輸出まで決めてしまった。
そしてこれほどのことが起こっても、「この経験を生かして安全な原発を」と語る人々がいて、原発がないと困るというたくさんの人々がいる。

もう、なんかなあ、いやになってしまう。

そして年の瀬も迫ってもうひとつ、八ッ場ダムの再開の発表がありました。
大震災と原発事故でお金がかかるのははっきりしていて、一方で増税を語っているのに、なくてもいいダムに金をつぎ込むというのだから、いったい何を考えているのか。まっとうにものを考える人はいないのだろうかと思ってしまう。

怒るというよりあきれはててしまって、なんとも晴れない気分の年越しになってしまったという次第。

荒川俊児
映像ドキュメント.com(http://www.eizoudocument.com/)

別記:ちょっと前に腎臓に結石が見つかってしまい、2週間前に破砕術なる治療を受けてきました。まわりからはあれは痛いとか脅されたのですが、実際の治療は痛みもなく、1泊2日で帰ってきました。
石が出るときに痛いという話もあったけど、いまのところ問題なく。ただ風邪気味だったりしてぐだぐだしてたら、いつのまにか年を越してしまったというかんじです。身体にがたがくる年頃のようで‥。

コメント(4)

ぬまべ Author Profile Page:

全く同感です。やり場のない怒りと底なしの憂鬱を抱えたまま、年を越してしまいました。この気分は一向に晴れません。

>原発事故のことはいろいろにあるのだけれど、
>こんな気分になる最大の問題は、
>いまも福島に人が住みつづけていることです。

そのとおりです。さらに付け加えるなら、その福島産の食材を買うことで現地を応援しようという安易な風潮にも、背筋の寒くなる思いでいます。

今の政権のやることなすこと、とても正気の沙汰とは思えません。この期に及んで、まだ原発に未来を託せると考える人間が少なからずいて、私たちの生活すべてが彼らの意志決定に委ねられているのかと思うと、暗澹たる気分にならざるを得ません。

大輔 Author Profile Page:

「希望」の見えない新年はつらいですが、しゅんさんの周辺の皆さん(映像ドキュメント)がアクティブでいらっしゃることが、あえて言えば僕には「希望」です。

僕自身去年は色々なチャンネルで発信を試みましたが無力さを痛感しました。でも今年は、誰かの活動に希望を見いだすのではなく、自分をもっとアクティブにして行きたいと思っています。

あっこ Author Profile Page:

原発・・・先の見えない不安、怒りを抱えた年越しであったことは、私も同様です。
年末にお世話になっているヨガの先生を訪ねたのですが、原発の話になりました。先生もいろいろ勉強されて、活動もされているのですが、なぜ福島に住み続けるのか、福島の物産を買って支援するのか・・・身を犠牲にして行う意味がない行為を憂いました。
とはいえ、私たちにできることをやる、ヨガを通して多くの人が、心をクリアに、安定した状態をキープして、正しい判断ができるように務めていくしかないと話しました。
大きな山を見れば、登れるだろうかと心が折れそうになりますが、一歩ずつ歩んでいくしかないと心に言い聞かせて2012年を歩み始めました。

あらかわ Author Profile Page:

コメントありがとうございます。
自分のいる位置でできることはやっていくつもりなんですが、ここを攻めれば先が開けるという何か、切り口のようなものが見えないのが悩ましいところです。

かつてなら、一企業の公害でも公害輸出でも、それをとめようと活動すれば、それはひどいという考えはふつうに受け入れられ広がって、公害を出さない、公害輸出はいけないといったことはある種の常識になっていって、それは法規制にもつながった。

ところが、いまという時代はそうはならない。特に原発となると、これだけのことが起こってもなお「そうはいってもなあ、原発がないと困るから‥‥」と公然と語られて、ひどいめにあっている人がいても、見て見ぬふりができてしまうし、しょうがないことになってしまう。

少なくとも以前なら、「日本経済のためには公害はしょうがない」と思う人はいたけれど、それを公然と語るのははばかられた。そういう世の中の目があったと思うのです。
でもいまは「正気の沙汰」ではないことが公然と語られても、スルーされてしまう。

放射能の怖さは体感しにくいもので、それを知るには知識と想像力が必要なのだと思う。放射能という“毒”は、見たり感じたりできないから、そこにいても暮らせると思ってしまう。そして何年もたってから、その影響があらわれる。しかも確率的に。(すべての人に等しくあらわれるのではなく、ある人はガンになるけどある人はならない。被ばく線量が高ければガンになる確率が高くなる)。

今年はそのへんのことをわかりやすく伝えられないかとは思っていて、まずは文章にすることだと思ってはいるのですが‥‥うむ

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