編集長のつぶやき
5月某日
取材で北イタリアとオーストリア各地を回った。森林資源の活用がテーマで有意義な旅だったが、これまでと違うのはカメラマンとして参加したこと。最近の機材は優秀で素人でもきれいに撮れるようになった。技術的に難しくなければ演出が撮影した方が狙いの映像が効率的に撮れるのかもしれない。ドキュメンタリーも近い将来全部一人で撮るのが当たり前になるのかも。もっとも原一男さんたちはとっくにそうしてきた。ヨーロッパでは一人で何役もこなすのが当たり前。日本だけが分業しすぎているのかもしれない。
5月某日
6月下旬まで日本に行くことになった。熊本・水俣での取材。かつて70年代に観た土本典昭監督のドキュメンタリー映画を思い出した。不知火海の美しさには息を呑んだ。この海に水銀を流したチッソは今も水俣で液晶工場の操業を続けている。一方、胎児性水俣病の患者さんたちは50代以上になった。水俣病の公式確認は昭和31年で僕が生まれた年。だから胎児性の患者さんの多くが僕と同じ年だ。つまり、もし僕が水俣に生まれていたら確実に水俣病になっていたということ。水俣も福島も自分の問題として捉えなおしていかなければならない・・・と改めて思った。
6月某日
官邸前の大飯原発再稼動に対する抗議行動が、大きな広がりを見せ始める。22日に参加したが、かなりの人数が集まっていたのでしゅんさんに即電話。映像ドキュメントでの取材を勧める。この夜報道ステーションが初めてこの抗議行動を報じた。翌週の29日には最大規模に膨れ上がった。
6月某日
しゅんさんと相談して「映像ドキュメント」の「蔵の映画会」で今回取材した水俣の番組を生で観てもらうことにした。アーカイブス番組なので過去の作品と現在の状況を併せた構成。「公害」や「企業の犯罪」という意味で福島に引き付けて構成したが、どれくらい伝わっただろうか?その3日後「荻大飲み会」も開催できないまま日本を後にする。
7月某日
日本から姉夫婦がウィーンを訪問。今年はクリムト年(生誕150年)なので、ベルヴェデーレ宮殿の特別展などを一緒に訪れる。その他久しぶりに王宮やシェーンブルン宮殿、さらにザルツブルクまで足を伸ばす。時々日本からお客さんを迎えると自分も色々と見直すことができるのでうれしい。荻大の皆さんもぜひどうぞいらして下さい。(笑)
8月某日
小沢一郎が民主党を去り「国民の生活が第一」を立ち上げる一方で、野田政権は原発政策を明確にしない。離党、不信任案、問責と、「政局」をテーマにマスコミが騒ぐわりには事態は何も進まない。ただ消費増税だけが着々と進む。不条理を感じる。
9月某日
荻大ノートの更新が進まない。のりさん以外の方から原稿が届かないな・・・と思っていたらあっこちゃんからパブロクルーズのリポートが届いた。これをきっかけに更新開始。同時に皆さんに原稿執筆を呼びかける。皆さんお忙しいでしょうが、短くても結構です、原稿をお待ちしております。
9月某日
2週間の短い日本滞在。今回は撮影も編集もないので、さっそく「荻大飲み会」開催。(笑)ぬまべさんが50代に別れを告げるそうで色々と思うところがあるという。まあみんな順番だからしょうがない。還暦を迎えたからといって荻大メンバーが突然老け込むわけでもない。皆さんゆっくり年をとりましょう。(笑)そして10月はぜひしんゆり映画祭へ。
謹賀新年・・・と素直に喜べないけれど・・・激動の2012年が明けました。
「荻大ノート」にとっては記念すべき1周年。
さっそく年末ぎりぎりに届いた「宮崎デジタル化」などの原稿アップ作業から開始。
松が開けるまで更新作業を続けた。
2月某日
今年最初の出張で東京へ。到着直後から震災の被災者に関する取材で秋田、福島へ。
すっかり忘れていたが、2月11日に脱原発の集会があるので、その告知を「荻大ノート」に大急ぎでアップ。集会当日は懐かしい顔にめぐりあえた。その模様は後日「おらが写真館」にアップ。
2月某日
取材で秋田、福島を再訪。いわきなど津波の被害にあった場所も訪れ、その破壊力を思い知らされた。福島の沿岸部から避難した人々は、津波の被害に加えて放射能の影響で帰るに帰れない。その絶望感を前に言葉を失う。
2月12日
しんゆり映画祭の「5時からシネマ」第2回に参加。今回は「音楽群像劇」がテーマ。『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』を観賞後、制作スタッフの対談、交流会があって楽しかった。「映画は知らない世界への扉だ」と改めて認識した次第。のりさんと会って久しぶりに一杯飲んだのも楽しかった。
2月某日
結局2月はロケと編集で過ぎて行ったが、月末に河田拓也さんとお会いすることができた。河田さんは高田純さんの知り合いでフリーのライター&編集者。For Everyman という雑誌の創刊号で「六連発愚連隊」の脚本を採録した人物だ。渋谷の「門」で話し始めたらあっという間に4時間が過ぎた。For Everymanには純さんのインタビューも収録されている。松田優作に渋谷の「門」に呼び出された時の話も載っていて、偶然とはいえ驚いた。次回一緒に小田原に行くことを約束して別れた。
3月某日
時が経つのが早い。
2月から3月にかけての更新の「最大の収穫」は「宮崎デジタル化」の原稿が本人から寄せられたこと。おらがさんに大感謝だ。日本は311から一周年で様々な動きがあったが、自分の取材もあってすべてを網羅できなかった。この間の原発関連の動きは「映像ドキュメント」で確認して欲しい。
3月20日
東京を離れる前日に「荻大蕎麦ツアー」を開催。千石から上野まで歩きながらの蕎麦巡り。その模様は「おらが写真館」でどうぞ。横浜では「横浜散歩行」もあったが、こちらは参加できず残念。次回はぜひ参加したい。参加できた方はレポート送って下さい。
4月某日
4月から5月にかけての更新を始める。
みんなそれぞれ忙しそうで、なかなか原稿が集まらない。こちらも2月の脱原発デモや3月の蕎麦ツアーの写真レポートをやっとアップするような状況。
まあ、ぼちぼちいこか。
5月某日
連休中に更新作業を続ける。のりさんから「映画に魅せられた人々」の第5回が寄せられた。ミニシアター「ザ・グリソムギャング」を運営する箕輪克彦さんについて。必読です。みんなグリソムへ行こう!
皆様お体を大切に。また次回、元気でお会いしましょう。
震災後3回目の東京出張。機内映画で原田芳雄さんの「大鹿村騒動記」を観ることができた。出来ればもう一度スクリーンで見直したい。今回は2週間の短い滞在になりそうだが、どれだけみんなと会えるだろうか?
11月某日
巣鴨でしゅんさんと前田哲男さんの3人で飲む。しゅんさんと前田さんはパラオ(ベラウ)つながり。僕と前田さんはアフガン取材に一緒に行った仲。それぞれの体験談と震災・原発事故後の日本についてなべをつつきながら語り合う。
11月19日
しんゆり映画祭の新企画「5時からシネマ」に参加。「青春の殺人者」を35年ぶりにスクリーンで観る。いま改めて観ると最初の印象よりも「よく出来ている映画」という印象。それだけ名作と言うことか?はたまたかつての自分が未熟だったと言うことか?上映後は長谷川和彦監督と原田美枝子さんの対談。司会は白鳥あかねさんという豪華な顔ぶれ。のりさんとも会えたし、ゴジさんとは朝まで飲めたし、うれしい一夜でした。
11月某日
白山でもう一度しゅんさんと飲む。テーマは「荻大ノート」。今度は宮崎とおらがさんが来てくれた。居酒屋でなべをつついたあとしゅんさん行きつけの「映画館」と言う店名のジャズ喫茶へ。ここはすごくいい空間。しかも店長の奥さんがパ聴連メンバーもびっくりの「ひとりパ聴連」だった。ご本人の語るところ、最後の放送の時に抗議のためにTBSまで出かけたとか・・・。終電まで彼女も一緒に話が弾む。
12月某日
今回も様々に旧交を温めさせて頂いた。仲間というのは良いものだ。ウィーンに戻ってからはゴジさんとの約束を果たすためのリサーチ作業などに没頭した。
12月31日
新企画や荻大ノートその他の原稿書き、リサーチと情報整理に追われている。
日本はあと15分で新年だ。今年最後のつぶやき。何とか間に合った。
皆様どうぞ良いお年をお迎えください。
オーストリアのバイオマス事情を取材することになって10月はほとんどその仕事に没頭した。オーストリアに海は無く、アルプスと森と湖の景観で知られる。その国がエネルギー自立を目指して森林の活用を始め、ここ10年でかなりの成果を上げて来たことが分かった。フクシマ以降「脱原発」が叫ばれる日本にも豊かな森林がある。この資源をもっと有効に活用すべきだと痛感した。
10月某日
バイオマス取材の最終日、リビアでカダフィが虐殺された。人によって感じ方は様々だろうが、生きたまま捕虜にした人間を虐殺することに正義は無いと思う。
10月30日
この日午前3時、サマータイムを採用するヨーロッパ各国は一斉に冬時間に入った。夜、普通の人が寝ている時間に時計の針を1時間後ろへ戻すわけだ。朝起きると7時だったはずがまだ6時。だから1時間よけいに眠れるといううれしい日でもある。体内時計は1時間のずれを感じていたがすぐに慣れた。これで日本との時差は8時間となる。
11月1日
昨日がハロウィーンできょうは万聖節。日本でいえばお盆のようなものか。オーストリアでは墓地を訪れる人が年間で一番多いとも言われる。みんな墓を掃除して花を飾りきれいにする。祖先と自分のつながりを感じさせる日なのだろう。
11月某日
TPP、スーダンPKO、消費税・・・と野田政権の暴走ぶりが伝えられる。なぜ外国で国際公約としてぶち上げてしまうのだろうか? ほとんどの国民が「聞 いてないよ!」と思っているのではないか? 愚直と言いながらこれほど不誠実な政権を今まで見たことが無い。福島ではキセノンが検出される。今も「毒」がばらまかれつつある現実を突きつけられる。
11月某日
10月の最終週から荻大ノートの更新作業に入る。のりさんから「5時からシネマ」のお知らせが届く。しんゆり映画祭のスピンアウト的な企画。「5時から」だから第一回は「ゴジさん」。青春の殺人者を上映した後ゴジさんも参加して「恐怖の飲み会」だそうだ。参加するのが楽しみ。荻大のみなさんとも「5時からシネマ」の会場でぜひお会いしたいです。
911から10年。検証番組も色々あったが真実はわからない。ビン・ラディンがどこかで生きているのならインタビューを聞いてみたかった。日本では311から半年で新宿でサウンドデモが行われたが、これに対して警察の異常な取り締まりがあったそうだ。どういうことか気になる。
9月19日
「さようなら原発」を掲げて、歴史的な6万人集会とデモが行われた。「もう原発はこりごりだ」と同じ思いの人々がこれだけ集まったのは感動的だった。現政権がなぜ原発を維持したいのかさっぱりわからない。政界と産業界だけが国民大多数の意識とずれている。つまり国民が政権と産業界を変えて行くしかないようだ。
9月某日
ヨーロッパ各地で秋祭り。公園や広場に出店が並びバンドが演奏する。ちょうど代々木公園付近の地方物産展のような感じだ。だがそんな中ユーロが急降下。冬に向かって灰色の雲がヨーロッパの空を覆い始めている。
9月某日
いきなりウィーンに現れた細野原発担当相が、IAEAで「前倒しで冷温停止を実現」とぶちあげた。突然のことにこっちはのけぞった。結局、その後の野田首相の国連演説のためのアリバイ作りと判明したが、無駄なことに無駄な国費を使うものだと思う。大臣のヨーロッパ出張って一回いくらかかるんでしょうかね? それ、税金なんですけどね。
9月某日
陸山会事件判決でまたまたのけぞった。江川紹子さんもびっくりしたとツイートしていた。小沢一郎氏の裁判にも影響を与えるということだが、弁護団の関係者に今度ゆっくり話を聞きたいものだ。
10月某日
先月末から2週間かけてゆっくりと更新作業をやってみた。みなさん忙しそうで大変だ。我々の世代はいま社会の中枢にいるということか、それとも単なる貧乏暇無しか。
亡くなったスティーブ・ジョブズ氏の語録から一つだけ。
「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない」
人生、そうも言っていられない部分もあるのだが・・・
ところで iphone4S の 4Sは for Steve という意味だって本当なの?
10月某日
さあ、今年もあと3ヶ月。荻大関係者にとってはヒロミさんの舞台とのりさんのしんゆり映画祭が待っている。どちらも見逃せないと思うが僕はどうやら行けそうにない。せめて皆さんで楽しんで来てください。11月にお会いしましょう!
先月に続いて仕事で広島入り。暑い。ゆっくり歩くがそれでも汗が噴き出してくる。10日ほど滞在の予定。広島焼き、瀬戸内海の魚介類、焼酎が楽しみ。牡蠣は季節じゃないと言う人もいたが、かき小町という大振りの牡蠣が美味かった。
7月某日
東京に戻って麻布十番の編集室にこもる。こうなると世間とつながっているようでつながっていない。毎日同じことの繰り返し。宿舎を出て編集室に入り終電近くでコンビニに寄って帰る。隅田川の風景を見られるのが唯一の慰めか。東京も暑い。ゆっくり歩こう。
7月19日
原田芳雄さん逝く。残念無念。林美雄さんも7月だったな。悲しい。
7月23日
エイミー・ワインハウスさん逝く。もう言葉もない。悲しい。
8月某日
仕事が無事に終わって運転免許の更新プラス国際免許の申請に行く。目の検査で「眼鏡をご検討ください」と言われてしまった。たしかに僕はここ数年目が悪くなったと感じていた。特に左目は乱視が入っているようだ。おそらく長年モニター画面を見続けて来たからだろう。あの丸印の中で欠けているところを「右」とか「上」とか言うテスト。小さいのはほとんどただの丸印に見えた。ショック。
8月某日
宿舎のある浅草で「生ホッピー」初体験! 浅草寺に向かって左サイドに広がるホッピー通り。そこの老舗「鈴芳」は珍しい生ホッピーを飲ませてくれる。つまみも最高に美味かった。お勧め!
提灯眺めながら・・・「芳」は芳雄の芳だな〜。そう言えば「美雄」の方も7月が命日で8月はサマークリスマス・・・
8月某日
都内某所で銀幕上映会。30数年前の映像に感無量。感謝。
久しぶりのオフ会も同時開催。元気でいればこうしてみんなと会える。うれしい。
8月某日
ロンドン経由でウィーン戻り。途中ロンドンのカムデン・スクエアで、7月23日に急逝したエイミー・ワインハウスの自宅付近に「お参り」に行ってみる。没後2週間以上たってもいまだに花やメッセージが絶えない。特に多感な少女たちからのものが多く感慨深かった。日本でロンドンで才能ある人が次々となくなってしまう・・・。RIP Amy・・・RIP Yoshio・・・
8月某日
次の仕事の仕込みなどをしながらひたすら片付けの日々。たまった領収書とも格闘。そんな中、民主党代表選挙の報道に接する。国民がおいてけぼりの代表選にいらいらする。新政権にはともかく福島原発事故の収束と震災からの復興を急いでもらいたい。
9月某日
あっという間に9月になってしまった。7月に原田芳雄さんが亡くなったショックもあって8月の更新作業は進まず。皆さん忙しそうで暑いし原稿も集まらず・・・まあ、こんな時もある。
でもぼちぼち更新始めよう。皆さんもどうか元気を出してくださいね。
初めて「サウンドデモ」なるものに参加した。4月の高円寺に参加できなかったので、念願かなってうれしい。あいにくの雨模様だったが、それでも前回並みの1万5千人ほどが参加したというから大したものだな。元水玉消防団のカムラさんもやってきた。デモの模様は「おらが写真館」にアップしたので覗いて下さい。それにしても日本のデモ事情に新風が吹き込んでいるのは確かのようだ。
5月某日
秋葉原で仕事のための外付けハードディスクを購入。この業界の変化のスピードに驚く。2テラバイト(2000ギガバイト)のハードディスクが1.5万円程度で買えるとは。ヨーロッパでは高い電化製品を買えば10年や20年は大事にして修理しながら使いつづける。でもこのスピードだったら数年前に購入したものは既にガラクタに等しい。どんどん買い換えた方が経済も活性化するから良いはずなのだが・・・。
5月某日
今月は月頭の更新後も投稿が続く。沖縄ライブレポートや20ミリシーベルト問題、NHK番組の反響などが書き込まれ、だんだん荻大ノートらしくなってきた。コメントももう少し増えるといいなと思うが、サインインしてコメントを書き込むのが面倒なのかもしれないな。
6月5日
新橋でオフ会。6月の更新のための原稿を皆さんにお願いする。なんとその場でおらがさんからメモリースティックを手渡された。詳しくは「宮崎デジタル化」のコーナーを読んで下さい。(笑)
6月某日
ウィーン到着。IAEAの閣僚級会合が近くなり、そこで「フクシマ」に関する日本政府の報告書が提出されるということで、各社の記者や特派員がウィーンに集まる。加盟各国はそれぞれ原発を推進しようとしてきただけに、日本に同情的で理解があるらしい。でもヨーロッパではフランス以外は脱原発の路線がメインになってきた。日本もそうなってもらいたい。
6月某日
アルプスのふもとで暮らす義母の家に次の冬のためのマキがトラック2台分届くというので、それをマキ用の小屋に運ぶ手伝いをしに行った。単純肉体労働だが、次の冬の暖房を準備するために働く・・・という感覚が良い。3月に義父が亡くなり義母は一人暮らしをしている。もちろん原発には反対だ。オーストリアは計画的な植林によって市場に十分なマキを供給している。バイオマスでも世界的な技術を持っているらしい。学べる部分もありそうだ。
6月某日
最近Windows7で開いた荻大ノートで、サインインしても書き込めない状態が続いている。
カーソルがタイトルのところには出るのだが本文のところに移動してくれない。つまり本文が書き込めない。オフィスからマックノートを持ってきてなんとか作業するが、しゅんさんにも色々お願いしてしまった。
7月6日
更新作業の真っ只中だが、1ヶ月ぶりに日本に到着。
蒸し暑い中、色々腹立たしいことが多いようだが、暑気払いに集まることができればうれしいな。
(大輔)
4月10日
時代は確実に変わっているな。なんとウィーンにいながら東京で行われている二つのデモの様子を生中継で見ることができた。こちらも参加している気分。実際に隊列の中にいる人よりも複眼的にデモの様子を知ることができた。ただ、それでもやっぱり参加したいという思いが募る。
4月13日
約3ヶ月ぶりにウィーンを出発。まだヨーロッパから日本へ行く乗客は少ないそうだ。ヨーロッパ系の航空会社の中には便数を減らしているところもあるという。そんな中ANA便で東京へ向かう。乗客はほとんど日本人。順調に14日定刻で「震災後」の日本に初めて到着。
4月15日
お台場のZepp Tokyoでジョニー・ウィンターのコンサート。老白人ブルースマンの真髄に触れる。ブルースは年取ってもサマになるから良いな。ジョニーはもう立って弾けないほど弱っているのだが、弾き始めると凄い。声もまだまだ張りがある。今年は世界ツアーをやるそうだ。
4月16日
赤坂でぬまべさんの講演。テーマはプロコフィエフ。講演と映画の2本立て。面白かった。ぬまべさんいつの間にこんなに上手に講演をするようになったのだろう?感心してしまった。
4月21日
高田純さん逝く。のりさんから知らせを聞いたのは23日だった。悔しい、悲しい、もったいない、様々な感情が押し寄せる。いくつもの企画、いくつもの脚本がこのまま埋もれていくのだろうか。映画は本当に夢の世界だ。夢のまま終わるか、生きているうちに実現させるか。純さんのように知識も才能もある先輩に、もう一花もふた花も咲かせて欲しかった。合掌。
4月24日
原発止めよう!東京ネットワーク主催のデモに出かける。芝公園から東電本社などを歩く。昔ながらのスタイルの集会とデモ行進。これで何かが変わるとは思えない。あの高円寺のデモのように、やりかたを変えてスタイルも若返る必要があると思った。
デモの流れで荻大の飲み会を開催する。震災と原発事故を乗り越えてこうして再会できたことに感謝した。震災では3万人以上が亡くなった。そして純さんが突然亡くなった。人の命ははかない。だからこそこうして友人と会い語らう時間を大切にしたい。そんな思いがこみ上げた。
(大輔)
3月某日
オーストリアのアルプスのふもとで暮らす義父が亡くなった。がんとの壮絶な闘いだった。2年前手術したが再発し2回目以後の手術を拒否して自宅療養していた。74歳。自分もあと20年か・・・。
3月11日
東日本大震災が発生。津波が町を飲み込む映像にぞっとする。さらにその後の福島原発事故。1週間ほどは何も手につかず、ただUstreamで各局の震災特番を見続ける。
3月某日
荻大ノートでもメンバーの体験や意見を発信することに。続々と集まる原稿を次々とアップし続けた。しゅんさんは映像ドキュメントの関係者と一緒に、デモや上映会などの活動に入った。
3月某日
東京および関東周辺に住む仲間たちは皆なんらかの影響を受けていた。仕事と年老いた親を抱えて避難もままならない。こうした状況は多くの仲間たちに共通している。原発事故がなかなか収束しない中、放射線の数値が出始める。それぞれ神経をすり減らす毎日が続いているに違いない。
3月某日
東京で原発事故後初めてのデモがある、という情報がしゅんさんから寄せられる。オーストリアにいて参加できないが、自分もあらゆるチャンネルを使って脱原発への発信をしようと心に決める。残り20年の目標が決まったようなものだ。
3月某日
4月の更新作業に入る。手元にメンバーからの原稿は1本もなし。(笑)無理も無い、状況が状況だ。せめて明るい話題を提供したいということで、おらが写真館へ持ち込みで去年の秋の「横浜散歩行」の模様をアップ、また「宮崎デジタル化」の第2回をアップする。
3月某日
4月中旬にはまた東京へ行く予定。荻大メンバーに放射線対処法を教えてもらわなくては・・・。いつのまにか花見の季節になった。今年の桜を日本人はどんな思いで見つめるだろう?
皆さまの無事と原発事故の1日も早い収束、そして被災地の復興を祈りつつ。
(大輔)